私は、植物が好きです。
でも、植物が好きでこんなにも夢中になったのは近年のこと。なので、お花や木の名前も詳しくない。小学校の時も特別理科が好きだった覚えもありません。
ただ、この年齢になって”とにかく植物が好き”と思えるようになったのは、マチの景色をみて『美しい』と感銘を受けた経験が一つの大きなきっかけであることは間違いありません。
もともと、都会は建物を建てるため(高層であれば強靭な基礎工事も必要)どんどんコンクリート化していき、そのなかで街づくりや、景観の観点から植え込みをします。
植え込みという一部のグリーンに心ときめくのは、周りにたくさん”緑がない”からだと思います。
大きな植物への恐怖
先日鹿児島に行った際に、植物に恐怖を覚えました。
夜景を見ようと、小高い丘の上にある展望台に行くために、近くの駐車場に車をとめて展望台へ向かいました。
しっかり、舗装もされていますし、夜も多くの人が訪れるようなスポットなのですが、暗い夜道にざわざわと風に揺られる楠の木を前方に感じた瞬間、ものすごい恐怖に襲われました。
自分の何倍もあるような大きな木が目の前にあり、大きく風に揺られている。それだけなのにどうしてそんなに恐怖を感じたのでしょうか。
潜在意識の中から記憶がフラッシュバックして直感的に恐怖や不安を覚えることはよくあることといいます。
実際、特定の植物に対して恐怖を抱くひとは、一定数いるのだとか。(参考:『植物考』藤原辰史著、2019年)
みんながみんな、グリーンをみて癒されるわけではないし、心地よい、美しいと感じるわけではないのです。
私も植物のことが大好きで、毎日頭の中は植物のことだらけですが、お恥ずかしながら大きな木や、山の中など圧倒的な大自然は実はかなり怖いのです。
大きく育った杉の木の森なんかは想像しただけで、ぞくっとしてしまうほどです。
今回は鹿児島の展望台を例に出しましたが、過去には高野山の奥の院の杉の木が立ち並ぶところで、いてもたってもいられずに走って通り抜けたことがあります。
こんなことで、自然がすき、とか植物が好き、と言えるのでしょうか、と自分でも思いますが、私のこの恐怖は”畏怖”であると最近は納得しています。
圧倒的なもの、神聖なるもの、人間の力を無力と感じたときに出現する素直な感情。まさにそれです。
まとめ
例えばこの記事に、『植物恐怖症』という検索でたどりついた方には、まったくなんの解決にもならないような記事になっているとは思いますが、何が原因かわからない特定の植物に対する『ただの恐怖心』であれば、心理カウンセラーなどに相談されるといいと思います。
だいぶ今日の記事は個人的なお話にはなりましたが、植物恐怖症という言葉を知っていただく機会にはなったかな、と自己満足しておこうと思います。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。