【広島】被ばく樹木(大銀杏・アオギリ・シダレヤナギ)

2025年、明けても暮れても、いつでも植物や樹木のことばかり考えている私です。

たいして何もできていなかった2024年を終え、せめて、せめて情報だけは…と、自分が見に行くことができる範囲で、この地球にある木々をこの目でみて、感じ、そして書き残したい。

(こんな風にかくと、世界各国回ってしまいそうに聞こえますが、いまのところ関西からほぼ出ません…)

本日のお題は、被ばく樹木です。

広島の被ばく樹木

長期のお休みの間に、遠方まで行くとたいてい珍しい木などに目星をつけて回りますが、予習せずにいってもその土地で大切にされてきた木々に出会うことがあります。でも今回は広島に行くことは決まっていたので、被ばく樹木を中心に見に行ってきました。

  • 縮景園・大銀杏(大イチョウ)
  • 平和記念公園・アオギリ
  • 青少年センター西側・シダレヤナギ

被ばく樹木プレート

被ばく樹木にはプレートがつけられているので、被ばく樹木であるとわかります。こんな感じのプレートです。(画像小さくてすみません。)

※画像お借りしました
(緑の伝言プロジェクト https://green-greetings.com/2018/ より引用)

広島・縮景園【大銀杏】大イチョウ

広島の被ばく樹木といえば、あとで紹介するアオギリとともに大銀杏が有名です。

真冬に行ったので落葉していますが、周辺に行くと銀杏(ぎんなん)の実の香りが漂います。(そうです、あの匂いです。)元気に結実していたことを嗅覚で察知しました。縮景園の大銀杏は雌株ですね。

落葉した状態から想像するに、枝全部に黄色くなった葉がある状態だったらそれはそれはすごい迫力だろう!!と思います。

少しだけ落ち葉もあったので写真には収めてみましたが。

木肌は黒く(これは被ばくの影響なのか、老木だからなのかはわかりません。)

爆風によりこんな風に斜めに傾いたといわれています。

不安になるほど斜めに立って倒れそう、そして幹は太く大きいです。もともとイチョウは大きくなる樹木だから当たり前ですが。

この縮景園、1620年から続く大名庭園。美しいお庭だっだそうです。爆心地から近く当時ほぼ焼き尽くされたそうです。

全て吹き飛び焼野原だったなんて信じられないくらい美しい庭園でした。季節的に、冬の風物詩である菰巻きが施されていて、庭園内のお花には藁で寒さ除けが施されています。

話を戻します、原爆投下から生き残った樹木である大銀杏は貴重な存在。

平和を望む多くの人が今もなお、原爆投下から生き残ったこの木を見に来るのだそうです。

この木があの暑い日、爆風とともに焼け、その後どのように息吹を吹き返したのか。どんな風景を目にしてきたのか。この木が存在しているだけで、そんなことを想像することができます。

どれだけの人がこの銀杏の木の再生をみて勇気づけられたことでしょうか。実際私も何かにくじけそうになった時、この木のことを思い出すでしょう。

実物を見たら、この木のような存在の重要性を肌で感じたのでした。

そしてこういった樹木を大切に管理されている市や団体などにも敬意を表したいです。

真冬だったこともあるかもしれませんが、この銀杏の周りは外国人だらけでした。日本人はどこへ行ってる??たまたまでしょうかね。

ちなみにもう一本川沿いに大きな黒松もあって、大きすぎて写真に全体像が移せなかったのですが、こらも被ばく樹木です。

全体像は、私のインスタグラムの動画にしてあります。

縮景園の場所です。

平和記念公園内の被爆樹木、アオギリ

広島の原爆ドーム近くの平和記念公園にはたくさんの平和を願うモニュメントがあります(祈りの塔や消えない灯など)

今回は時間都合で原爆資料館は行きませんでした。

アオギリは、ちょっと見逃してしまいそうでした。こちらが被ばく樹木アオギリです。(一部自分で撮影した動画から切り取った画像もありますので鮮明じゃなくて申し訳ありません)

というのも、もちろん冬なので葉が黄色く少なくなっていることもありますが、アオギリ横に建物が建っていて、一瞬見逃してしまったのです。

広島で2023年に開催されたG7の開催記念館が建てられていて、資料館に向かう人からは陰に隠れるような場所になっていました。

今も元気に結実しているそうです。被ばくしたアオギリの横にはアオギリ2世ちゃんも。

アオギリは幹が青く美しい樹木ですが、被ばくでえぐられた部分を覆うように幹が巻き込んでいました。そんなにお元気な様子には見えないのですが、青々とした葉をつけているそうなので、またその季節にみてみたいです。

こぶのようなものも見えますね。

一説によると、このアオギリは、横のG7の開催記念館がたってから元気がないとか、葉の色が変色したとか言われているようなんですよね。工事の時に根に何かしらの影響があったのでしょうか。大切にされている木なので慎重に工事も計画もされていると思いますが…。

ちなみにこのアオギリは爆心地から1370mのところにあった郵便局の敷地にあったものが移植されたものです。

寄付の経緯

 このアオギリは、被爆樹木です。
 爆心地から約1.3km離れた、中区東白島町の広島逓信局(現在の中国郵政局)の中庭にあったこの木は、爆心地方向にさえぎるものがなかったため、熱線と爆風をまともに受け、枝葉はすべてなくなり、幹は爆心側の半分が焼けてえぐられました。
 ところが、枯れ木同然だったこの木は、翌年の春になって芽吹き、被爆と敗戦の混乱の中で虚脱状態にあった人々に生きる勇気を与えました。
 その後、中国郵政局の建て替えに伴い、昭和48年(1973年)5月に現在の場所へ移植され、原爆の被害を無言のうちに語り続けています。
 移植で枯死するのではないかと心配されたアオギリは、その後も毎年種を実らせており、この種から育てた苗木を「被爆アオギリ二世」と名付け、修学旅行で平和記念公園を訪れた学校等に配付しています。

(引用:広島市ホームページよりhttps://www.city.hiroshima.lg.jp/soshiki/138/7640.html

平和記念公園アオギリの位置

青少年センター(西側)のしだれ柳

もう一つ見てみたかったのが、しだれ柳です。現存する被ばく樹木の中でも最も爆心地に近く(原爆投下の目標市である相生橋にもっとも近く)まさに今立っているその場所で被ばくした樹木です。

他の場所に移植されたりする樹木もあるなか、まさにこの場所で…というのも貴重ですし、焼け焦げたあとヒコバエで伸びた枝が伸び今の立派な姿に成長しているという。

昔、しだれ柳って土手付近の街路樹としてはとても人気があり、たくさん植えられたそうなのですが、今は川沿いにはソメイヨシノが多いですよね。このしだれ柳がたつ付近も寄付された桜の木がたくさん並んでいて春は人出も多くにぎわいそうです。

土手側ではない道路側の一区画に、簡単にロープで囲いをされたしだれ柳を発見!

注意書きが…『勝手に剪定などをしないでください』など書かれていました。

存在を見逃してしまいそうな、たたずまいでした。木が倒れないように支えの木もありましたが、ちょっと心もとない気もします。

しだれ柳の下には、たくさんの落ち葉が落ちていました。風に揺れて少しだけ残った葉がゆらゆら揺れています。

この木はあとどのくらい生きるのかな…頑張ってほしいな~、と静かに手を合わせてきました。

ヒコバエは、幹の根本付近から芽吹いてくる若い芽のことを指します。切り株の横からはえているのを見たことがあるかもしれません。切られてるのにこんなところから??と思ったことありませんか??

焼けただれて朽ちていくとき、精いっぱいの力で生きようと芽吹いたのかな。そんな風に想像すると、私はやはり元気をもらうのです。

それにしてもこの柳の木もすごい迫力。とにかく太く大きくて、どうして、もっと葉が生い茂っている時期に来なかったんだろう…と少し後悔しました。

広島には昨年真夏に一度言っているので次は春くらいに行きたいですね。

シダレヤナギの位置

まとめ

今回は被ばく樹木を中心にまとめてみましたが、こういった生き残りの樹木だけではなく、植物の生命力には驚かされることもたくさんあります。(一方で観葉植物を育てていると管理が悪いのか、弱くてすぐにお亡くなりになってしまうものもありますが…)

植物を育ててると、枯れたんだろう…と悲しくなり、処分しようかと思いかけたとき小さな芽がでて、その後大きく育つこともあります。

生命力といえば、以前樹木医さんの集まる交流会のようなところで「桜に寿命なんかないんだ!その樹にとって生育できる条件、環境下であれば寿命なんて存在しないんだ!」と言われたことがあります。

確かに…なるほど。と最近思います。人間には確実に寿命というものはあるけど、樹には本当はそんなものはない…そうかもしれません。

長生きだろうと、早くお亡くなりになってしまおうと、見ている今、まさに今、『生きてるんだ』と私は日々植物の姿をみてつくづく実感するのです。

生きているんだ、そして動かないでそこにあるだけなんだけど、勇気も元気もくれる植物の存在に改めて感謝を深めています。

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私のブログやインスタグラムを見ていて、周りの植物を見る目が変わった!と年末年始のご挨拶と共に、ご連絡をいただいた方が増えました。

食べ物も紙も、衣類も、いろんなものが実は植物でできています。命をいただきながら生活できていることを、改めて実感して生活していきたいものですね。