鶴見緑地公園内です。落葉高木がたくさん茂っているので落ち葉がかなり落ちています。
この落ち葉、実は木にとってはとてもありがたいものなのだそうです。写真のようにそのままにしていていい箇所は、ぜひそのままにしておいてあげてほしいものです。(そのままがいい理由は、落ち葉の下には地面があり、木の根っこが育つ土があります。その土には栄養も水分も必要。そして土の柔らかさも必要です。落ち葉が落ちて土の上にかぶさると、そこに部生物が発生し分解を始めます。土には栄養が蓄えられ根はその養分を吸いあげます。栄養が良い気はおのずと葉もたくさん茂りますので、たくさん二酸化炭素を吸ってくれます。
いい循環だと思いませんか?
ただし人の通るところでは、落ち葉を清掃することは必要と判断されて、きれいに整備してくださる方がいます。
暑い中、熊手で落ち葉を掃きだしてくださっています。
私は、落ち葉は木の栄養のために残しておいてほしい!なんて一言では言えません。
秋になれば、落ち葉を拾って遊ぶ子供たちがいます。
アスファルトの上に落ちた落ち葉を邪魔だ!と苦情を言う人もいる。
落ち葉を暑い中お掃除してくださっている人もいる。
落ち葉を腐葉土にして有機肥料として使用している人もいる。
ただ、いろんな人がいるのだ、ということを、今一度振り返って知ってほしいのです。
いろんな立場のいろんな人がいるから、一方高からの批判が必要だとは思っていない。ただいろんな視点をもって、身の回りのことを少し考えてほしいのです。
ドイツの落ち葉対策
最近読んでいた本に興味深いお話が載っていたのでシェアします。
ドイツのハンブルク市のお話。
落ち葉は清掃業務の部署が管理をし中心部では市の部署が管轄しますが、市街地の歩道に関しては、土地の所有者から清掃のための税金が徴収され、間口の長さと清掃頻度が基準となり税金が決定しているのだそうです。
(参考:『街路樹は問いかける-温暖化に負けない〈緑のインフラ〉ー』著・藤井英二郎ほか 岩波書店、2021年発行)
すごいシステムですよね。市街地に住んだら隣接する歩道の落ち葉のために税金を支払っている。ハンブルク市だけではないそうなので、ここでも街路樹に対する意識って日本と大きく違っていると感じませんか?日本でそんなことをしたら、なんで税金払わなきゃいけないんだ!!とお怒りの声が起きそう。でも、このシステムを受け入れて支払うことでその土地に住む市民は緑や町の景観に貢献している、貢献している意識を持っているのだと思います。
日本の落ち葉苦情
先日、樹木医の先生のお話を聞きに行ったとき、なぜ街路樹のカタチが崩れているのか、というお話の中で、市民からの苦情で「落ち葉が多いから木を植えるな、切ってほしい」という声が多い、というお話を聞きました。びっくりしすぎて声がもれました。
しかし、「そんな苦情はおかしい!」と声を大きく言えない自分もいます。
はて、自分の家(マンション)の前に街路樹があって落ち葉がすごくてグジュグジュしていたらどうだろう。木のせいにしてしまうだろうか…。それとも人知れずお掃除するでしょうか。
だまって落ち葉を何年も掃除してくれている人もいるはず…自分は何もしないのに。
何もしない自分は、苦情を言っている人と同じではないのか?とか、いろいろ考えさせられました。
木蓮の花
一つ思い出したことがあります。
そういえば私が若いころ、大きな木から白い花がどんどん落ちてきて、人が踏むから地面が茶色になるのです。白い花と踏まれて茶色になったところが何とも汚い(汗)と思ったことがあり、あの花が咲くころは汚くなるんだよね~咲かないでほしいな…とひそかに思っていました。まさに落ち葉の苦情を言っている人と心の中は一緒ではないか!!
植物へのまなざしを育みましょう!と言っている私が過去こんなことを思っていたなんて、お叱りを受けそうですが、植物への学びにより視野を広げたからこそ分かったことがあり、感じたことがあるのです。
まとめ
今回は落ち葉の話でしたが、いかがでしたか?
皆さんの住んでいる周りや、お仕事されている周りで、誰にも言われなくても日々落ち葉と格闘している方はいらっしゃるかもしれません。
少し周りを見渡してみましょう。
植物を通して皆様の暮らしを感じてみてください。違った見方ができるはずです。
私は植物への学びを通して、だんだん視野が広がったおかげで、植物に向けて優しい気持ちを持てるようになりました。そしてだんだんと人にも優しくなれている気がする。
そんなまなざしを皆様にもシェアして、穏やかに暮らしていただきたいと思っています。